Mission & Vision 20 Apr, 2020 『社内報』の力を信じ、開拓の歓びとともに歩んだあの頃。
glassyが現在の社名になったのは2017年6月ですが、その歴史はそれ以前から始まっています。glassyがどんな道をどのように歩んで現在の姿になったのか。変わったこと、変わらないこと、ずっと大切にしてきたことを時代順に4回に分けてお届けします。
今回はその第2回目として、2014~2015年頃をクローズアップ。社内報事業に立ち上げ時期から携わってきた制作ディレクター小島(写真左)に、事業育成のプロセスと培われた精神を語っていただきました。
【プロフィール】 大学卒業後、広告代理店、IRコンサルティング会社などで企業広報物の制作ディレクターを経験し、2014年3月に株式会社アドテイスト(現・glassy株式会社)へ入社。
『社内報』という事業のタネを芽吹かせるために
志手
小島さんが入社した頃の会社の雰囲気は、どんな感じでしたか?
小島
わたしが入社した頃は、会社案内や採用サイトなどの企業広報ツール、セールスプロモーション用のチラシとかカタログ、グループ内からのサイト制作依頼などいろいろな制作を行っていて楽しそうな会社だなぁと。
当時、社内報は数社ご依頼をいただいていましたが、まだ事業として成り立つほどではなく、社内報制作の経験やノウハウを伝えていくような会社にしていきたいなと考えていました。
営業やディレクター(現在のフロント職・セカンド職、以降、本記事においては当時の職種で記載)とデザイナーは働くフロアが分かれていたので、お互いどんな仕事をしているのかが見えにくかったし、会社の目指す方向をみんなで共有する機会も今よりずっと少なかったように思います。
志手さんとも入社当時はあまりお話する機会ってなかったですよね?
志手
確かにそうだったかも。
案件でたまに話す程度でしたよね。
フロアが一緒になる物理的な距離って大きいんだな。
だから当時、営業やディレクターがどんな活動をしていたのか実はあまり知らなかったりするんですよね。
入社した2014年ってどんな1年でした?
小島
工藤さん(代表)とともに、社内報事業を芽吹かせていくための施策を実行に移していきました。
まず、社内報セミナーを定期開催することから始めました。講座資料の準備、当日の運営~講師まで営業とディレクターが手分けして行いました。
セミナーの内容は、初めて社内報担当になった方向けに社内報の目的や企画の立て方などの基礎知識をご提供するもので、現在もつづく人気の講座です。
志手
どのくらいの頻度で行っていたのですか?
小島
多い月だと8回くらいかな。年間だと数えきれないくらいです(笑)。
毎回セミナー後に内容を見直し、次のセミナーで実行。その繰り返しで講座内容をブラッシュアップしていきました。みなさん真剣に聞きにいらっしゃるので、多くのヒントを持って帰ってもらいたいなと思っていました。
志手
そこからどのように営業活動につなげていったのですか?
小島
セミナー開催後、参加してくださった企業様へご訪問して、『社内報』を見せていただいたり抱えているお悩みをうかがったり。『社内報』は社外の方には見せない広報物で他社の取り組みが見えにくいため、差支えのない範囲で「こんな会社さんもありますよ」とお伝えすると喜ばれることが多かったです。
ある時、大手住宅メーカーの担当者様から「今度『社内報』をテーマにした勉強会を行いたいので、その講師を務めてもらえませんか?」というご依頼をいただきました。もちろん即OKのお返事をしました。
そこから開催にむけて資料を準備して、本番まで打ち合わせを重ねました。当日は同業の広報担当者様が30名近く集まる中で講師として登壇、終わった時はホッと胸をなで下ろして担当者様と喜びを分かち合いました。
その後しばらくしてご連絡があり、『社内報』の制作ご依頼をいただいたんです。ものすごく嬉しかったことを今でも覚えています。
志手
新たなWEBサイトを立ち上げたのも2014年でしたよね?
小島
はい。WEBサイト『SHAHOO!(現・『社内報のつくりかた。』)』を2014年11月に立ち上げ、月曜日から金曜日まで毎日欠かさず記事を更新していました。
社内報の目的、ネタ作りってどういう風にしたらいいのかなど、社内報担当者様の悩みを解決するための情報サイトという位置づけで。
サイトの第1フェーズのゴールは、Facebookで「1万いいね!」を獲得することでした。社内報事業としては同業他社より後発になるので、実績を掲げる他社とどう差別化するか、お客様の反響を社外にアピールできることがないかと考えました。
この施策が的中し、サイト開設数か月でゴールを達成。社内報セミナーへの集客増や制作のご依頼につながっていきました。そして、『社内報』は世の中に求められているんだ、というわたしたち自身の確信にも。
ニーズをキャッチして、glassyらしい情報ツールやつながりの場を提供
志手
最初から激動の1年だったんですね。翌年の2015年は、どんな活動をしていましたか?
小島
第2弾となる新たなセミナーと、数々の情報ツールを開発していきました。
情報ツールは、各社に『社内報』に関するアンケートをさせていただき、その結果をまとめた『社内報データブック』、社内報担当者様の制作上の悩みとなる企画やアイデアの考え方をまとめた『企画のレシピ』というハンドブック、『FUN』という社内報づくりをもっと楽しくするための情報誌などの発行をつづけました。
企業訪問する際のお土産として担当者様へお渡しし、「社内報といえばglassy」をアピールしていきました。
志手
それ以外にも社内報の担当者様を集めた交流会も開催していましたよね?
小島
はい。社内報の担当者様とお話するうちに、似た悩みを抱える同士の「つながり」を求めているんだなと感じて、なにかお手伝いができないだろうかと。そこで生まれたのが『SHAHOO!会』です。
セミナー会場よりもリラックスできる銀座のコワーキングスペースをお借りして、お互いの抱えている悩みを共有したり、ミニワークで一緒に企画を考えたり。情報交換の場として大変好評をいただきました。そんな風に、『社内報』という軸の中で担当者様が求めるであろうことを次々に行ってみた1年間でしたね。
glassyと、glassyで、仕事がしたい。2つのターニングポイント。
志手
当時の2年間で、ターニングポイントになったことってありますか?
小島
2つあります。まず1つめは大手航空会社様の社内報を担当させていただいたことです。セミナーに参加してくださったのがご縁で、社内報リニューアルのお手伝いをさせていただくことになりました。
志手
確かにこの後のボクらの『社内報』事業にとって転機となった案件ですよね。
小島
はい。リニューアルプレゼンでは、執行役員や事業部長など上層部の方々も出席され、『社内報』を経営ツールとして重要に感じてくださっているのが伝わってきました。そして、「一緒にお仕事をしたい」と言っていただけて、その期待に応えたいと強く思いました。
実際の制作に入ると、毎月発行のため、担当者様と電話やメールで毎日やりとりを繰り返しました。そして全員一丸となって読者に響く『社内報』にしようと夢中になって制作に取り組みました。時には、終電を逃してタクシー帰りになってしまったことも…今では考えられない働き方かもしれませんね(焦)。
志手
もう1つはどんなことですか?
小島
もう1つは、新たなメンバーとの出会いです。会社を大きくするためには、人の力が必要です。当時は人事もなく、採用面接をわたしが行っていたのですが、そこで一番知りたかったのは、会社を一緒に創ってもらえそうかという点でした。そのために、当時の会社の状況もきちんとお伝えしてお互いミスマッチが起こらないようにといろいろお話をしました。
彼らの登場によって社内報事業が拡大に向けて舵を切ったことは間違いなく、組織が大きくなっていく上でのターニングポイントだったと思っています。
新しいものを生み出すことの大切さを忘れないでいたい
志手
『社内報』という事業を芽吹かせていった中で感じたことはありますか?
小島
いろいろな企業様とお話するたびに、「社内報ってすごい!」と思うようになって、仕事に対するワクワクが止まらなくなったことでしょうか(笑)。
志手
「社内報ってすごい!」ですか!?どんなところでそう思われたのですか?
小島
自分が入社前に想像していたよりも『社内報』という媒体に求められる役割の大きさに気づいたんです。企業の核となる方々に直接お会いして経営課題をお聞きしたり、現場の担当者様からお悩みをお聞きしたりすると、『社内報』にはいろいろな可能性があって、企業の抱えている課題を解決できる力がありそうだ!と。そして、自分も制作チームの一員としてそこに関わることができるんだ、と。
志手
当時を振り返ってみて、自分自身に対して感じることってありますか?
小島
そうですね。入社した頃は「自分にできることってなんだろう?」と自分起点で物事を捉えていたのですが、事業を大きくするには?glassyを大きくするには?社会のためになにができる?と視点が高くなり、視野も広がったように思います。
きっと1~2年後に今を振り返ったら、「あの頃はなんて狭い視野だったんだ」と思うんでしょうね(笑)。
志手
そんなふうに、視点や視野が変化したきっかけがあったのでしょうか?
小島
入社して業務を任されてから、今までとは違う種類の責任感みたいなものを強く感じるようになりました。元々、未開の土地を耕すようなことが好きだったので、前職までも新規プロジェクトとか新会社の立ち上げとかを好んで選んできましたが、先陣を切って事業を切り開いていく人は他にいて、わたしはそれを横に広げていくような役割を担っていました。
glassyではその先陣を切ることにチャレンジさせてもらえて、自分軸という狭いところから一歩踏み出したのだと思います。
志手
つらかったことや苦労を感じたことはなかったですか?
小島
これが、全然苦じゃなかったんですよね(笑)。もちろんツールを開発するために悩んだり、任されているというプレッシャーはありましたけど、熱き想いで行ったことが結果につながっていく、その歓びの方が大きかったです。
歴史ではなく、現在の話になってしまいますが、今のglassyは成長期。事業を創っていく中で、企業の成長も、個人の成長も感じることができると思うので、この事業を立ち上げた頃の開拓者精神みたいなものをglassyのみんなと共有して、社会に貢献することへの歓びをともにしていきたいです。