People & Culture 03 Apr, 2020 「インナーブランディング担当者に一番寄り添える会社」そう呼ばれるチームを仲間と一緒に創っていきたい
【プロフィール】
原(大阪オフィス)
大学卒業後、1991年 ㈱リクルートフロムエー入社。求人媒体の企画職、編集職を経て、㈱リクルートに出向。求人媒体の編集長等を歴任。2009年退職後は商業施設や街づくりのコンサルティング会社など数社に転職。2019年4月 glassy入社。現在は名古屋と大阪オフィスを取りまとめる責任者。
glassyは東京を中心に、名古屋・大阪にもオフィスを構えています。
両オフィスともまだスタートダッシュの真っ最中。
幾つもの求人情報誌の編集長を務めた原がglassyに入ったきっかけから、事業の拡大とチームビルディングに奮闘中の今の想い、そして名阪チームのこれからについて聞きました。
プロ意識の高いメンバーに支えられて、名阪エリアを開拓中
名古屋・大阪オフィス(以下、名阪オフィス)を開設してまだ年月も浅いですが、エリアを開拓し、社内報を中心としたさまざまなお仕事をいただけるようになりました。
メンバーは社会人経験の長い方が多く、この仕事のプロフェッショナルが揃っています。それぞれの専門分野での引き出しが多いのはもちろんのこと、自分たちがどうしたらこの会社をもっとよくできるのか、名阪オフィスを拡大していけるのか、お客様にもっと大きな価値を提供できるのかという目標に向けて、みんな自律的に仕事をしています。
私の職種は、営業(AE)と制作ディレクターを兼ねた「フロント」職ですが、現在ディレクター業務は他のメンバーに任せ、新規開拓営業と名阪オフィスの責任者としての業務に集中しています。大阪の臍(へそ)と呼ばれる下町で生まれ育ち、求人情報誌の編集者時代に、東京と名古屋に通算9年間にいた以外はずっと大阪で仕事をしてきました。
入社してすぐに新しい拠点の責任者を任されることには正直不安もありましたが、クライアントであるインナーブランディングの担当者の方々に寄り添えているか、スピード感も含め十分にできているかを常に考えて行動しています。
ここから新しいメンバーにも入ってもらい、今後5年間で現在の10倍規模に成長させたいと思っています。
求人情報誌編集長の経験を社内報に活かしたくてglassyへ
大学を卒業して、求人媒体の企画と編集の仕事に携わりました。その後、20年くらい一貫して編集や企画の仕事をし、幾つかの求人媒体の編集長も担当しました。
僕が編集の仕事に就いた頃は、まだWEBはなく、媒体と言えば“紙”でしたね。
編集長として担当していた求人情報誌もすべて紙媒体で、“有代誌”と呼ばれる、コンビニや書店で有料販売されるものでした。
やがて、それらの媒体はWEBに移行していったのですが、そのタイミングで、編集以外の世界を見てみたくなったんです。
どうせなら全く飛び込んだことのない業界、やったことのない仕事をしてみようと思って、商業施設や街づくりのコンサルティング分野に転身し、数社経験しました。
glassyに入る直前は大阪の街づくりの会社に6年いました。
そこでは街おこしイベントや行政の仕事をすることが多く、それに伴うポスターやイベントカタログなどの制作業務も結構あったんです。
「君、編集やっていたからコレできるだろう?」と頼まれ、企画・編集・ライティング、デザイン発注、印刷発注という一連の流れの、昔よくやっていた仕事をすることもありました。
次第に感じたのは、やっぱりこの仕事面白いなぁということ。
それがずっと頭にありました。
それで、50歳になる2年前の正月に今後のことをじっくり考えました。何か新しいことをするなら、これが最後だなと思い、もう一度、紙の媒体の編集に携わりたいと決心しglassyに入社を決めました。
インナーブランディング担当者に寄り添い、「不」を取り除くのが僕らの仕事
長い間、HR系の媒体を担当した経験から、インナーブランディングの重要性はよく理解しています。たとえば、求人情報誌で「経営理念のしっかりした企業で働く」という巻頭特集をしたことがありました。その特集がどれだけの採用に繋がったかを検証した結果、「今までとは違う人が応募してくれた」「本当に素晴らしい人を採用できた」というケースが多かったんです。
条件ではなく、会社の理念、社会で果たす役割に共感して働きたいという人たちと企業をしっかりマッチングできた手ごたえがありました。
「この特集をもう一回やってほしい」という営業現場や読者の反響もいただき、数ヶ月後に同じようなテーマの特集を組むこともありました。その中では、最初の特集を見て「理念がいい会社」に入社した人を取材し、入社後の活躍ぶりを編集記事で紹介したりしました。
そういう体験から、インナーブランディングの重要性の実感値は凄くあったんですよね。
その当時に比べると、今は世の中全体としてインナーブランディングの重要性は認識されてきていると思います。それでも、インナーブランディングを担当している人には、孤軍奮闘している人が非常に多いように感じます。
アウターブランディングと比べて、インナーブランディングは成果が見えにくいし、担当者の業績への貢献度や自分の寄与度などは間接的にしか実感できなかったりするんです。同じ広報でも、華やかな社外広報に比べて、インナーブランディングの担当者というのはどれほど地味なんだと。
社内報を作ったり、社内が活性するにはどうしたらいいんだろうと考えるのは、片手間にはできないことなのに、専任の担当ではなく、通常の業務をやりながらそれもやっていかないとならない。その上、社内報が読まれていないとか、これだけお金をかけているのに効いているのか、なんてことを常に会社から突きつけられているんですよね。
外から見ているだけではわからなかったインナーブランディングの担当者の本当の悩みや大変さ、プレッシャーを実感しています。
ですから、そういう人たちに少しでも寄り添って、彼らの不安や不満、不利、不自由などの「不」を取り除くのが僕らの仕事だと思っています。
インナーブランディングの担当者の方と接する時には、「貴方のお仕事のストレスや負担が、なんとか軽減されるといいのですが」という話をして、「この人(glassy)と付き合えば『不』が取り除かれる」という期待と信頼を得ることを心がけています。
最近では、名古屋に本社を置く、インテリア関連の大手企業様から社内報全面リニューアルのお話をいただいた時こんなことがありました。
担当者様は、「発注先をこれまでのパートナー企業から変更するにあたり、コスト増となることをどのように説明すれば、経営層の承認を得られるか」非常に悩んでいらっしゃいました。
そこで、担当者様のお悩みを都度お伺いし、タイミングごとにひとつずつ解決すべく、細かいアドバイスを粘り強く行いました。私達を含め4社に相談されておられましたが、7か月かけて寄り添った結果、コンペにもならずに、発注いただくことができました。
具体的な提案をする以前に、社内をどのように説得するかを、7か月もの間、まさに担当者に寄り添う形でアドバイスし続けたことで、「glassyになら、安心して任せられると思った」との嬉しいお言葉をいただきました。
このようなクライアントを1社でも多く増やしていきたいです。
「インナーブランディングならglassy」と呼ばれるチャンスがここにある
大阪ではまだインナーブランディングの会社で拠点を構えている会社自体が少ないんですよね。拠点はあってもあまり重視されていないのか、インナーブランディングの担当者から、「相談に乗ってもらえない」、「企画にメリハリがなく、いつも同じ内容になってしまう」という不満を聞くことが多いです。ガリバーと言われる専業大手2社も名阪にはあまり目を向けていないという印象です。
そんな状況ですから、インナーブランディングの専業会社ということ自体がglassyの強みといえます。「インナーブランディングならglassyだよね」と言ってもらえるチャンスが凄く近くにあるということです。
「名阪で一番、インナーブランディングの担当者に寄り添える会社」と言われるようになりたいですね。自分に成り代わって会社のことを思ってくれる、会社を内側から強くしたい、その手助けを一番してくれるのがglassyだと思われるような。
「名阪が今チャンス!」というところを実感して一緒にチャレンジしてもらえる人と熱いチームを創って盛り上げていきたいですね。