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People & Culture 16 Jun, 2020 手ごたえを確かめながら、ステップを一段一段あがってきた

#History

glassyが現在の社名になったのは2017年6月ですが、その歴史はそれ以前から始まっています。glassyがどんな道をどのように歩んで現在の姿になったのか。変わったこと、変わらないこと、ずっと大切にしてきたことを時代順に4回に分けてお届けします。
第3回の今回は、2015年の後半から2018年まで。社内報事業が大きく成長し、インナーブランディング専門会社への道を歩み始めた時代について、営業兼ディレクターの森(写真左)に聞きました。

【プロフィール】
求人媒体の編集や企画に約8年携わり、その後、商業施設のプロモーション、海外コンテンツビジネス、ブライダル誌の編集などを経て、2015年6月に株式会社アドテイスト(現・glassy株式会社)に入社。

最初の印象は、絶えず変化しながら成長していく会社

小島

森さんが入社された当時の会社の印象はどうでしたか?

社員数は10名以下でこじんまりしていましたが、今と同じように絶えず変化しながら成長しているという印象でした。社内報の仕事は全体業務の半分くらいで、これから開拓していくのだという熱気を感じました。

小島

当時のメンバーの印象は、どんな感じでしたか?

入社面接の時から、小島さんは優しくてほんわかした印象でした。その印象は入ってからも変わりませんでしたけど、仕事に関してはタフなので驚きました(笑)。デザイナーさんたちとはあまりお話しする機会がありませんでした。 そういえば、新入社員がとてもしっかりしているのにも驚いたのを覚えています。

小島

わたしは森さんが入社面接に来られた時、「働く人を応援する」がご自分のテーマと言っておられたのが印象に残っています。

私のキャリアを形づくったのが求人情報誌の企画・編集だったんですよね。その後、海外コンテンツビジネスなどを経て、ブライダル誌の編集に携わりました。ブライダルの仕事も学びもあり楽しかったのですが、求人情報誌でやっていた、働くことが少しでも楽しくなる情報を届ける仕事の方が好きなことに気づきました。「働く人を応援する」というテーマが私の中で明確になったのはその時です。社内報事業は、そのテーマにぴったりだったんですよね。

サービスサイトの立ち上げ、名阪エリアの受注が成長への大きなステップに

小島

入社された当初、『SHAHOO! 』(現・『社内報のつくりかた。』)の記事をメンバー全員が交替で書いていた中で、一番たくさん「いいね!」がついたのは森さんが書かれた記事でした。

そんなこともありましたね。当時は社内報のクライアントを増やすという段階で、全員営業という感じでしたよね。セミナーの企画も全員で考え、講師として登壇していました。お客様先を訪問して、コンペのお話があれば参加して。当時はまだ社内報以外の仕事も多く、1年くらいは採用ブランディングの仕事が中心で、私は採用案件担当のようになっていました(笑)

小島

サービスサイト(現『glassy&社内報のつくり方』) の立ち上げは大変でしたか?

それまでにWEBコンテンツの制作経験はあったものの、サイト自体を一から作るのは初めてでした。今後の活動を左右する重要なサイトですから、何社もお声がけして委託先を選び、サイト構成からテキストライティングまですべて自分で行いました。もちろん、他の案件も担当していましたから、並行して進めるのは大変でした。
工藤さん(代表)と相談しながら何度も手を加えて完成度を上げていったところ、 問い合わせが増え始め、受注につながる案件も出てきました。ファーストコンタクトから受注までがとてもスムーズで、サービスサイトが必要だった意味を実感しました。

小島

大手ラグジュアリーブランドの社内報をコンペで勝ち獲った時、 受注の連絡があった当日のことを今でも鮮明に覚えています。

出版系制作会社を含む7社競合だったので、獲れたときは嬉しかったですね。また、このコンペやその後の制作では、ブライダル誌での経験がすごく活きたので、「何でもやっておいて損はないな」と思いました。
この辺りから徐々に社内報案件が増えていきましたよね。社内イントラ用記事の制作や、そこへ誘導するメルマガ配信など紙媒体以外も扱うようになってきて、さまざまな手法の経験値が急激に上がったのもこの時期です。インナーブランディングに関するクライアントの要望に対して、多彩なサービスの中から適したものを提供していく面白さを実感しました。

小島

その後、社長室の新規案件獲得チームへ異動して、予算の大きな案件や超有名企業からの受注も獲得されましたが、印象に残っているのはどんな案件ですか?

名古屋オフィス・大阪オフィスの開設につながった某大手自動車メーカー様の労働組合報の受注は会社にとっても私個人にとってもとても大きな出来事だったと思っています。社内報とはまた違うコミュニケーションが求められる労働組合報で、どのような提案をするか、いつも以上に企画に時間を費やしました。
名阪オフィス開設後は直接携わることはなくなりましたが、 事業領域を拡大できた貴重な体験でした。

目の前のお客様に満足いただくことが次につながる

小島

その頃から社内報事業に集中できるようになり、社員数も増えて会社が大きくなりました。ここまで社内報事業を育ててくるにあたって、どのようなことを心がけてこられましたか?

目の前のお客様に満足いただくことが次につながると考えていました。クライアントからグループ会社や関連企業をご紹介いただくこともあり、受注した案件で期待以上の満足を得ることが、何よりも大切だと思うようになりました。
販促やマーケティング施策は販売数や反響数などの数字で効果を測ることもできますが、社内報をはじめとするインナーブランディングはそれが難しい分野です。そのため、完成物の仕上がりだけでなく、完成までのプロセスそのものが価値を決めると思っています。完成物のクオリティが高くても、作る過程の中で不満になるようなことがあれば、全体の満足度が一気に下がってしまいますよね。ですから、制作会社というよりコンサル会社に近い意識で仕事をしています。

小島

今後のglassyで森さんはどのようなことをやっていきたいですか?

一番は人の育成です。昨年、チームのマネジャーになり、フロント(営業兼ディレクター)のメンバーだけでなく、セカンド(編集・ライティング)のメンバーも含めた体制づくりと育成を強化してきました。とても優秀なメンバーばかりで、この一年で土台ができ、個々のできることも増えたと思います。
人の育成はglassyの今後を決める重要なファクターなので、私の持っているノウハウはどんどん提供して、私なんて「もうピークは過ぎたよね」と言われるような元気のいい若手を育てたいです(笑)。「自分しかできない」ことに価値はなく、常にglassyとして質の高いサービスが提供できることを目指しています。どんどん私を抜かして成長していってほしいですね。

小島

「インナーブランディングの達人」を目指して、これからも一緒に走っていきましょう。

はい。サービス領域を広げて、やれることを増やしていくのが楽しみです。将来的にグローバルも視野に入れて、より広い価値を生み出していきたいですね。