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Mission & Vision 28 Feb, 2020 「あの頃は混沌として先の見えないジャングルの中を進んでいる、道なき道を行く、そんな感じでした。」

#History


glassyが現在の社名になったのは2017年6月ですが、その歴史はそれ以前から始まっています。glassyがどんな道をどのように歩んで現在の姿になったのか。変わったこと、変わらないこと、ずっと大切にしてきたことを、時代順に4回に分けてお届けします。

第1回の今回は、2010年頃のglassyの黎明期。その時代からの中心メンバー第1クリエイティブデザイナー志手(写真左)に、その当時のできごとや本人の想いなどを語っていただきました。

【プロフィール】
大学卒業後、2年の営業職を経てデザイナーへ転職。個人事務所にて商業誌のエディトリアルデザイン等を手がける。2003年glassyのグループ会社にデザイナーとして入社。アドテイスト(現・glassy株式会社)への転籍を経て現在に至る。

ガラリと変わった制作部門!

山口

志手さんが入社してから今までに、会社の体制も変わればデザイナーとしての仕事の内容も変わりましたよね。

志手

そうですね。両方とも大きく変わったと思います。
僕が転職して最初に入ったのはglassyのグループ企業の印刷会社でした。デザインを切り口に、その後工程である印刷までまとめて仕事を獲得するための新規獲得チームでした。2009年に、そのなかのデザイナーチームが株式会社アドテイスト(以下、アドテイスト。社名変更前のglassy)にまるっと移籍したのが体制として大きく変わったはじまりですね。

山口

アドテイストへの移籍は志手さんとしては、どのように感じていたんですか?

志手

僕らが移籍する前のアドテイストは、家電量販店のチラシや取扱説明書など、正確なオペレーションとスピードを求められる案件を主に担当していました。元々、営業企画部でデザインフレームを作成したものを、アドテイストのオペレーションチームに展開してもらうなど、連携する機会も多くあったので、制作部隊がひとつになることに抵抗はありませんでした。 職場も同じビルの中でフロアが変わるだけでしたので、制作環境を統一しつつ、デザインワークとオペレーションワークを分業し、仕事はスムーズに進行するようになりました。仕事の内容はいろいろ。名刺や封筒、挨拶状、カタログもあれば会社案内、チラシなどほんとうにさまざまなものをデザインしました。

山口

その頃の仕事で印象的なものはありますか?

志手

大手製薬会社から社内報のお仕事をいただいたことですね。

山口

その社内報の仕事からアドテイストの業務範囲が広がりましたよね。

志手

そうですね。その案件以前も新規提案をしていましたが、お客様のコアな部分に入り込む案件はそう多くありませんでした。基本的にはクライアントからのテキストや写真などの素材をいただき、デザイン上でうまく調整をする。その前段階の企画立案や、撮影、編集などに関わることは少なかったんです。
その社内報の仕事でも編集を担う部分は多くありませんでしたが、そもそもの社内報の位置付けを理解し、制作にあたって企業風土や業界動向についても深く知る必要がありました。記事に合わせた撮影ディレクションも求められたため、カメラマンをはじめとする外部のクリエイティブとの繋がりもここから出来始めました。求められるデザインのレベルもそれまでに比べて格段に上がりました。

山口

今思えば、その仕事の経験が今の社内報事業に繋がっていますね。

志手

そうですね。ただ、それ以外の社内報の実績は少なく、社内報の専門家集団を名乗れる状態ではありませんでした。社名が広く知られているわけでもなく、定期的に社内報を発行するような大きな企業とのお取引も少なかった。 依然、SP関連など手がける案件の対応は多岐に渡っており、今のようなコーポレートコミュニケーションにまつわる案件も微々たるものでした。言い方は悪いですが、「ちょっと便利な何でも屋」の域を超えていなかったですね。 当時は今のように企業におけるインナーブランディングの重要性もそこまで認知されていなかったですし。

ターニングポイントになった大手広告代理店からの採用関連の仕事

山口

採用関連の仕事についてはどのような経緯で始まったのですか?

志手

最初は、会社説明会で配るノベルティ、クリアファイルのデザインでした。そこから採用パンフレットなどのお話ももらえるようになったんです。 その頃はみんなでアイデアを出しながら、採用コンセプトとか冊子のテーマとかも含めて提案して仕事を取っていくという感じで。

山口

あの頃の志手さんは猛烈に忙しそうで、ホテルに泊まり込んでいた印象です(笑)。なにが一番大変でしたか?

志手

採用関連は時期が重なって、単純にやらなければならない量が多かったこととスケジュールのコントロールが大変だったこと。それまでクライアントから直接依頼を受ける仕事がほとんどだったのですが、広告代理店が間に入ることで若干難しいこともありました。クライアントの意向を汲みとることはもちろんですが、代理店の要望も聞き入れつつ最善の提案をする。物量もありますし、競合プレゼンなので、デザインのバリエーションはたくさん出す必要もあります。プレゼンのために何人もデザイナーを投入して工数かけて、でも結果、受注できなければゼロですからね。 ただ、大元のコンセプトやキービジュアルからこちらで考え、それに合わせたツールにデザインを落とし込んでいくという作業は、大変ながらも非常にやりがいのある仕事でした。

山口

あの頃、デザイナーは6人くらいでしたっけ?少なかったですよね。

志手

人の出入りはあったけど人数はあまり変わらなかったな。採用関連の案件は僕ともう1人のデザイナーがメインで担当していました。それ以外の仕事はディレクションしつつ、他のスタッフと協力して進めていました。

山口

志手さんはマネジャーだったから、自分の仕事以外にマネージメント業務もあって人一倍大変だったのでは?

志手

窓口となって、案件に適したデザイナーに仕事を割り振っていました。メンバーが僕と同年代のベテランばかりだったので、仕事を任せる時は、最初にそのツールの目的や、デザインの方向性とかを最初に伝えて、動き始めた後はデザイナーと担当営業で進めてもらっていました。デザインチェックとスケジュール通りに進んでいるかの確認はしていましたが。

山口

その頃のことを一言でいうなら、どういう言葉になりますか?

志手

うーん、「混沌」ですかね? とにかく、目の前にある様々な仕事をみんなでひたすらこなしていくという感じで(笑)。当然、それぞれのクオリティを下げることはできないですし。他のことを考えたり話したりする余裕はなかったですね。混沌として先の見えないジャングルの中を進んでいる、道なき道を行く感じでした。通常の案件をこなしながら、新規案件で実績を積み上げていかなければならないという思いで必死でした。道がなくても、とにかく歩かないと死んでしまう。目的地がどこなのかもわからないけど、止まると死んでしまうから前に進むしかなかったんです。

大変だったけど、自由度が高くやりがいはあった

山口

それだけ大変でもモティベーションが下がることはなかったんですね。

志手

工数的には大変だったけど、案件としては楽しかったし、やりがいもありました。専門性が高いというか、企画からライティングとか、デザインの前段階から丸ごとお仕事をいただけるようになったので。
仕事の範囲が広がると同時に、求められる水準も上がりました。見た目のデザインだけでなく、ロジックに裏付けされたデザインです。それに応えるのは大変といえば大変だったけど、自由度が高くていろいろなデザイン案が出せたし、面白かったですね。だいぶ時間が経っているので想い出が美化されているかもしれませんけど(笑)。自分も含めて一般の人が知っている大きな企業の仕事をやるのはやっぱり楽しいですし、自分が手がけたサイトや入社案内をみて、学生がその企業に入社を決めてくれるのは嬉しいですね。

山口

一番達成感を感じた案件はなんですか?

志手

大手銀行の採用関連の仕事です。3冊シリーズで、サイトに加えてプレサイトも創りました。「こんな風に撮りましょう」と提案をして、当日の撮影ディレクションもして、すごく面白かった。 範囲もボリュームも大きくて大変だった分、やり終えた時の満足感も大きかっです。

目の前のことを必死にやり切っていくという価値観はこれからもずっと持ち続けていく

山口

その当時、会社の目指す方向などはどのように共有されていたんですか?

志手

そういったことが話題にあがることはそうありませんでした。眼の前の仕事に立ち向かうのに精いっぱいで。僕もマネジャーという立場だったけど、正直マネージメント業務をどうするかとか考える余裕はなかったです。チームのモティベーションを上げようとか、効率よく仕事を進めるにはどうすればいいかなど考えることはありましたけど。
あと、工藤さん(代表)の頭の中にはあったとは思いますが、それを伝える仕組みや機会がまだなかったという気がします。ただ、工藤さんと話す機会が今よりはあったかもしれません。普通の打ち合わせでずっと顔を合わせて、案件も一緒に進めていましたし。ある意味、リアルなコミュニケーションを取れていた分、会社の目指す方向性とかに迷わなかったかもしれませんね。

山口

人の出入りも結構ありましたよね。

志手

それまではデザイナーがディレクションもライティングもやることが多かったのですが、やっぱり役割分担をして、しかるべき人がしかるべきことをしてクオリティを上げていく必要があるということになり、そこからディレクターの正式採用が始まりました。 その後、ライターも入って、デザイナーも増えて、仕事のフローもできあがってきているという感じですかね。

山口

入社してから今まで大きく変化してきたことについてはどう感じていますか?

志手

僕は変化を肯定的に捉えていて、今はインナーブランディングの事業に注力していられているので、専門性という意味でよい方向に向かっていると思います。
採用関係の仕事をしていた頃はハードワークをやり切ることで達成感を感じていました。今はお客様と継続的にお付き合いをさせていただいている中で、その都度その都度、求められることに対して答えを出していくことに達成感を感じています。毎回毎回、学ぶことも多いですし。インナーブランディングに関わる案件を手がけるということで、その企業を深く理解し、デザインを通じて課題を解決するということにとてもやりがいを感じています。
デザイナーがデザインを通じて企業の課題解決に貢献できることはまだまだ沢山あると思います。直接クライアントと接する機会を積極的に持ち、企業との信頼関係を築いていきたいと思っています。